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薄櫻鬼~十鬼之絆
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薄櫻鬼總司+十鬼之絆秦~
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追憶新選組(六)加入新選組的第二步,隊士錄

堅持非醜女不娶的
局長近藤勇こんどう いさみ
(本名:藤原昌宜  幼名:勝五郎  改名:勝太  改名:大久保大和)
天保5年(1834年)10月9日~慶応4年(1868年)4月25日、享年35歳
戒名:貫天院殿純忠誠義大居士

流派:天然理心流4代目宗家
必殺技:龍尾劍
愛刀:長曾祢虎徹(山寨版)
口頭禪:今宵の虎徹は血に餓えている
(虎撤今天晚上也要來杯大杯的番茄汁!)
死因:被砍頭
特技:拳を口に入れてみせることを芸にしていた
(嘴巴大到可以把拳頭放進去)
若いころの勇は、いつしか酒色を覚えると、元来一途な性格が災いし、八王子の遊郭に入り浸ることもあったという。(年輕時候的局長雖然個姓溫厚,直爽,但是喝了酒之後就會變成另外一個人酒後亂性會獸性大發,據說他常常出入八王子的妓院)
万延元(1860)年、つねと結婚する。この前に美人ばかり5,6人と見合いしたが、気に入らず、あまり器量の良くないつねを選んだ。近藤には「醜女は貞淑。貞淑な女性を妻にしたい。」という持論があった。(局長挑老婆的準則有一個,那就是「醜女即賢慧,找老婆當然要找賢慧的。」所以他對其他四五個美女不削一顧,找了長的有點抱歉的阿常來當他的近藤夫人)
※器量きりょう→顔だち。容貌(ようぼう)。多く、女性についていう。

小孩看到都會嚇道的鬼之
副長土方 歳三ひじかた としぞう
(本名;藤原義豊  俳号:豊玉  改名:内藤隼人)
天保6年(1835年)5月5日~明治2年(1869年)5月11日、享年35
戒名:歳進院殿誠山義豊大居士

流派:天然理心流
必殺技:陰勇劍,浮鳥
愛刀:和泉守兼定(有錢後改拿正版)
著作:豊玉俳句集
死因:中彈
專長:賣膏藥(石田散藥創下高營業額)
17歳のとき、江戸大伝馬町の呉服店に奉公に出る。だが、今度は店の使用人の女と関係を持ってしまい、日野へと逃げ帰った。18、9歳の頃には石田散薬の行商をしたが、その箱には剣術道具がくくりつけられていた。この数年前には佐藤彦五郎が自宅に剣術道場を開き天然理心流・近藤周助に入門しており、歳三も剣術稽古に励んだ。近藤勇と出会ったのもこの頃である。二十歳を越した頃から、試衛館に出入りするようになり、その後天然理心流に正式に入門する。遅くに入門した歳三はついに目録止まりだった。また、この頃、頻繁に吉原で遊行に耽った。(十七歲的時候一個人出外討生活,在服裝店打工,結果搞上老闆的女兒,不得已只好連夜逃回老家。18歲開始幫家裡推銷石田散藥,開啟了膏藥人生。邁要途中結識近藤勇,兩人從此成了患難之交。之後土方正式加入天然理心流,雖然只學到目錄階級,不過土方靠著奸詐狡猾的本性天資異稟補足了劍術上的不足(戰鬥的時候耍手段)。順便一提,他最愛去的妓院是有名的吉原唷!)
この浪士たちを束ねるため、隊規が新設される。「局中法度」である。これは違反者は全て切腹という厳しいものである。実際、これにより多くの隊士が処分された。隊士の処分の決定権は近藤にあったが、不在のときは土方が代行した。組織の長である近藤が表立って隊士に命ずることも少なかったであろう。これにより「鬼の副長」としてのイメージが濃くなっていく。(由於池田屋事件之後,隊士暴增,所以土方設置了「局中法度」來規範大家。凡是違反的人都將處以切腹之刑,據說真正被搞死的人數遠比土方提出的紀錄還要多。另外處分決定權本來是近藤所有,不過近藤本來就不是會注意這種小細節的男人,因此他的左右手土方就會全權做主。特別是近藤不在的時候,土方更是變本加厲,令人聞風喪膽的鬼之副長還真不是浪得虛名。)

鬼之副長年輕的時候



全身上下都是謎團的
一番組組長沖田 総司おきた そうじ
(本名:藤原房良(かねよし)、幼名:惣次郎春政、総司郎、宗次郎、宗治郎、惣二郎)
天保13年(1842年)6月1日~慶応4年(1868年)5月30日、享年27
戒名:賢光院仁誉明道居士

流派:天然理心流 指南免許
必殺技:沖田三段突き
愛刀:加州金沢住長兵衛藤原清光
外表:色の浅黒く、口が大きく、眼の細いヒラメみたいな顔(黑色比目魚)
死因:重病不治
人格:剣の指導が短気で厳しいだがいつも冗談を言って笑っている明るい性格、それに人を斬るときは躊躇しなかった(教劍時暴躁易怒,平常又是笑容滿面喜歡開玩笑,可以毫不猶豫把人砍死)
天保13年(1842)(1844とも)、陸奥白河藩士・沖田勝次郎の子として、江戸藩邸で生まれる。愛嬌者で、人懐っこい子供であった。幼い頃、両親を亡くし、姉・ミツに育てられた。9歳の時、近藤周助の天然理心流・試衛館に入門する。身体的特徴としては、背が高く、色が浅黒く、肩が張り上がり、猫背であったという談が残されており、よく冗談をいいよく笑い、ほとんど真面目なことがないくらいであったと云う。(總司小時候很愛撒嬌,所以特別惹人憐愛(長大也是),根據他人所言,總司身形瘦高,膚色頗黑,肩膀也挺寬(魁武),只是有點駝背。當時的男人平均身高160左右,因此推測總司身高可能有170幾左右。總是笑臉常開,愛說謊,感覺從來沒有正經過)


剣の腕は天才的で、12歳のときに、白河藩の剣術指南番を打ち負かしたという伝説を持ち。永倉新八はのちに、土方、井上などの試衛館生え抜き、北辰一刀流・目録の藤堂、同じく免許の山南なども、竹刀をもっては子ども扱いされ、本気で立ち会えば、師匠の近藤ですらやられるだろうと語った。19歳の頃には、免許皆伝を許され、試衛館の塾頭となっていた。近藤のいないときは、総司が代わりに教えていたが、教え方が乱暴で、短気であったため、門弟たちには、近藤より恐れられていた。(12歲的時候,將人家白河潘的武士打的落花流水,因而被譽為天才。自稱自己是世界第一的新八也說過只要這小子拿起竹刀,根本是把人當玩具在打,認真起來就連近藤也不是對手。(新八你自己呢?)。有時候總司會代替近藤出去外面教劍,雖然他平時笑臉迎人,但是只要一拿起劍就會若判兩人(變成鬼),所以他分明不是在教劍,而是在虐待學生,因此大家都很怕他....(總司:這是愛的教育!)




自稱自己是第一強的
ニ番組組長永倉 新八ながくら しんぱち
(本名:源載之(のりゆき)、幼名:栄治、栄吉、改名:杉村義衛 あだ名:ガムシャラ新八(ガム新))
天保10年(1839年)9月12日~大正4年(1915年)1月5日 享年77

流派:神道無念流 免許皆傳
必殺技:飛龍劍
愛刀:播州住手柄山氏繁
綽號:「ガムシャラ新八」、略して「ガム新」(暴力新)※がむしゃら→魯莽
死因:虫歯の悪化による骨膜炎、敗血症のため病没(蛀牙引發骨膜發炎,感染敗血症不治)
興趣:看電影
23歳のころ、近藤勇と出会い試衛館の食客となり、文久3(1863)年2月、近藤らと共に浪士組上洛に参加する。文久4(1864)年8月には、同士を家臣扱いするようになった、近藤に不満を抱き、原田左之助・斎藤一らと共に松平容保に近藤批判上書を提出し、その後謹慎処分となったようで、同時期の編成から外れている。(23歲的時候結識近藤,開啟了食客人生,最後跟著近藤一起加入浪士組,給飯吃的人走到哪,吃閒飯的當然就跟到哪。新選組於池田屋事件大活躍後變得很有名,近藤也因此跩起來了,所以新八與其他同樣看近藤不爽的人就跑去跟松平容保告狀,結果近藤被警告,當然懷恨在心,從此新八就從心腹名單除名了給你飯吃你還陰我!?造成日後兩人撕破臉,決裂!)
伊東甲子太郎とともに新選組に入隊した阿部十郎の後日談に「沖田よりはちと稽古が進んでおりました」と残されており、その剣技は、沖田をも凌ぐものであったことがわかる。(造成新選組分裂的始作俑者伊東不只自己在亂,還帶進其他人一起做怪,當時身邊有一個叫做阿部的人曾經說過新八的劍術比沖田好一點,因此大家就認定新八的實力比沖田強,所以鞏他為新選組最強的男人!阿部胡說八道。)

暴力阿公



最痛恨BL的
三番組組長斉藤 一さいとう はじめ
(山口二郎、山口次郎、一戸伝八、藤田五郎)
天保15年(1844年)1月2日~大正4年(1915年)9月28日享年72歳

流派:小野派一刀流
必殺技:奧義--無想劍(想都不用想)
愛刀:摂州住池田鬼神丸国重
個性:口数の少ない物静かな性格、「男色」に反論(沉默寡言,反BL)
死因:胃潰瘍(酒喝太多)
晚年:在女子高中當工友
衆道(男色家)だったことで知られる武田観柳斎。彼がある隊士に言い寄っていた。ある隊士とは、馬越三郎・18歳の美少年。あまりにも武田がしつこい為、馬越は土方に直訴した。しかし、今まで「男色」など裁きをしたことがなかった為、困ってしまい篠原泰之進に処分を押し付けた。篠原も馬鹿らしくて仲裁に入らず「困った、困った」と洩らしていた。それを聞きつけたのが彼(斎藤)。「けしからん奴だ。ぶった斬ってしまおう。」などと言うので篠原は慌てて彼を止めたという。何気におもしろい逸話である。(武田観柳斎是GAY這件事情已經不是秘密,而是新選組上下眾所皆知的事情。有一天武田看上一個叫做馬越的18歲美少年,於是不停的向他示愛。馬越不堪其擾,跑去跟土方抱怨自己的隊長是個同性戀,但是土方就覺得很煩,總不能因為武田是GAY就要他切腹吧?所以土方就不想管,把這個爛攤子塞給篠原泰之進,跟他說:『你自己看著辦』。然後篠原就窘了,莫名其妙被捲入BL三角戀,他很受不了成天大喊:『么受』。結果被齋藤聽到,齋藤是個反BL主義的正常男人,於是他就說:『同性戀殺無勒!!!』就一刀刺死武田,替美男子除害。)
 
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